2004〜2005頃、横浜市鶴見区にある東部総合職業技術校(現在の愛称:かなテクカレッジ東部)エクステリア科の卒業に当り、その2〜3ヵ月前から就職活動が本格化していました。県や市の嘱託職員(公園管理業務)募集に、中年の技術校生は次々に応募し内定していった。しかし、野村博次氏一人は手をこまねいていた。そんな中で、野村博次氏の奥様(福祉クラブ会員・共同購入利用)がみどり屋(鎌倉)今の湘南に入る事を推めました。
早速湘南に入るべく、福祉クラブ生協組織部担当者「山本新六」氏にみどり屋(鎌倉)理事長の連絡先を教えて貰い問い合わせたが、全く連絡が取れない。その後改めて山本新六氏に問い合わせると、「野村博次氏に会ってみたい。」と進展した。後日、二人が直接会う事が叶い初めて山本新六氏から「実は、港北区を中心としたみどり屋を立ち上げて欲しいのだが」という要望が野村氏に漏らされた。野村氏は、技術校内で担当教師にその事を話すと、「是非、皆にも話して欲しい。」と言われ、その場を設けて貰った。野村氏は、仲間の前で「樹木の剪定を一緒にやりませんか。」と呼びかけた。
その後、「福祉クラブ生協とはどの様な組織か?」について、当時の理事長・田川さんから説明する機会を山本新六氏に設定して貰った。Dayひよしでの説明会で、技術校生約15名の参加が有り、順調に滑り出せるかに見えた。しかし、卒業まじかとなって技術校生の就職が次々と決まると次々に抜け出る人が現れ、一時設立を断念せざるを得ない事態となりました。
そんな中で、青木俊夫、石田輝昭、岡本吉雄、永野洋、野村博次の5氏(敬称略・五十音順)が設立発起人として名乗りを上げて、何とか2005年4月16日付けで設立の運びとなりました。
庭木のお手入れは”みどり屋”へ